鎌倉好き集まれ!いいねぇおじさんさんの鎌倉リポート・第871号(2011年11月20日)

◇ 流鏑馬 (やぶさめ) 逗子海岸

            前号からの続きです。  前日の強雨が嘘のような、一転して今日は25度と夏日を
            思わせる陽気となりました。
            武者行列に付いて回っているだけでも大汗をかいているのですから、甲冑や衣装を
            纏っている方々は暑さで大変なことでしょうねぇ。
            この日の逗子海岸は波があり、サーファーやウインドサーフィン に興ずる若者達で
            賑わっていました。
           流鏑馬行事は、13:00から行われ、天長地久の式、馬場入り、主催者あいさつへと進み、
           13:30頃 「騎射」 が開始されました。
           馬場上と馬場下の扇方が、馬場の安全を確認、扇を挙げて合図の後、「素駆 (すばせ)」
           が行われます。  射手は約 190m ある馬場を全速力で駆け抜けます。、
            素駆の次は、「奉射 (ほうしゃ)」 が行われます。一尺八寸四方の檜板に白紙を張って
            五色の蛇の目模様を描いた的を射るものです。
            「鎌倉幕府の行事記録である吾妻鏡によれば、正治2年(1199)9月2日源氏二代将軍
           頼家が小坪の海辺で弓馬の達人を集めて ”笠懸” を射させたという記録があります。
           当時の小坪には逗子も含まれており、地形的に考えても現存の逗子海岸で ”笠懸” が行
           われたことがうかがえます。 (中略)
            
            源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果たしたので、天下泰平を祈願するため
            文治3年(1187)8月15日鎌倉八幡宮の宝前で 「流鏑馬」 を催し、以来源家三代を
            経て文永3年(1267)に至るまで、毎年の如く行われた輝かしい歴史があります。
            (中略) 時代が流れ、昭和20年の終戦当時、逗子海岸にあった ”なぎさホテル” に
            米軍が進駐しておった際に武田流司家の先代金子有鄰師範が彼等に流鏑馬騎射を
            披露したところ、彼等はこの日本伝統武芸に大いに魅せられました。
            そして早速、ホテル前面の海岸にやぶさめ馬場を設け、米将兵がやぶさめの練習に
            励んだのであります。
            昭和23年および24年の11月には、逗子の人々も参観に加わり、日米親善流鏑馬
            騎射会が行われました。」  (後略)   「逗子と流鏑馬」のしおりによる 
            奉射の次は 「競射(きょうしゃ)」 が行われます。径三寸の土器を二枚合わせたもので、
            命中すると土器が割れて、中から五色の紙吹雪が飛び散ります。
            今回は、女性の射手も含め9名の武田流弓馬道一門の皆さんで行われました。
            競射が終わると、馬場上に勢揃いし 「凱陣(がいじん)の式」 が執り行われます。
           武者行列、流鏑馬と勇壮な時代絵巻を楽しませていただきました。
           海を背景にした流鏑馬もいいものです。 来年の鶴岡八幡宮の例大祭がたのしみですね。

                                                      おしまい