実朝公は兄頼家とは異なり父頼朝の文的素質を受け継いでいたようです。頼朝公は鎌倉幕府を創始した武人ですが、和歌・連歌にも十分通じていたようです。
*元久三年(1206)二月四日 雪見に名越山の辺りに出かけ、義時の山荘で泰時・東重胤・内籐知親らと和歌会を開いたと記述があります。
雪降りて 今日とも知らぬ 奥山に 炭焼く翁 あはれはかなみ 雪が降って、いつとも知れぬ山で炭を焼く老人は、儚なさに耐えぬ思いだろう。
*建暦二年(1212)三月九日 将軍家三浦三崎の御所に行かれる。尼御台所(政子)ならびに御台所・義時・時房・広元・鶴岡別当・船中にて舞楽の興あり。
磯の松 幾久さにか なりぬらむ いたく木だかき 風の音かな 磯辺の松は、長い時間を生き抜いてきたのだだろう。梢で鳴る松風の音も、高く響いて爽やかだ。
自分の死を予感したような歌、詠作時期は晩年の建保六、七年(1218、9)の春でしょうか。
咲きしより かねてぞ惜しき 梅の花 散りの別れは わが身と思へば 梅が咲いたばかりなのに、花が散る様子を思うと、残念でならない。散らすのは、私の方だと思う。
毎年八月九日 白旗神社(鶴岡八幡宮)に於いて「実朝祭」が行なわれ、和歌に長けた源実朝公を偲ぶ献茶・短歌・俳句の会が開催されます。 |