江間四郎(義時)二十一歳の時寿永二年(1183)長男(泰時)を儲けていた。母は側室の阿波局で御所の女房だった。二十六号でリポートしました。
*建久五年(1194)二月二日夜になって、江間殿の嫡男(泰時)が元服した。幕府で儀式が行われた。将軍家(頼朝)がお出ましになり、御加冠の儀式があった。その後三浦介義澄を座に招し、「この冠者を婿とするように。」と命じられた。
頼朝の命により元服と同時に三浦義澄の孫娘と婚約し、八年後建仁二年(1202)八月二十三日 「矢部禅尼」を正室にむかえ翌年嫡男「時氏」が生まれている。
*建任二年(1202)八月二十三日 江間の太郎、三浦兵衛の尉が女子を嫁す。 と「吾妻鏡」に記述がありました。
1219年第三代執権の北条泰時公が一族の繁栄を願い創建したと伝えられている。由比ヶ浜を望む百八段の階段両側に般若心経の文字数と同じ二百六十二株のアジサイが植えられているようです。
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