*治承四年(1180)九月十七日 石橋山の戦いに敗れ舟で「安房国」に上陸した頼朝は後日「下総国」へ向かう途中で「千葉常胤」と合流した。子の胤正・師常・胤成・胤信・胤道・胤頼 等をつれ軍勢は三百騎あまりだった。
*「頼朝」は「常胤」を招き、「我が父のごとく思う」と言われた。と「吾妻鏡」にでています。頼朝の気持ちがわかるような気がします。今回は「千葉常胤」の二男「相馬氏」初代当主の「相馬師常」に関するリポートです。
*千葉一族として「一ノ谷」「壇の浦」の戦いで「源範頼」に従い西国で厳しい戦いの中、頼朝は「範頼」宛ての手紙で「常胤」のこと「大事にするように」と書いています。
奥州征伐でも武勲をあげた一族は頼朝から所領が与えられ、奥州相馬一族も発展していった。頼朝が鎌倉幕府を開いた後、「御家人」となり自邸の守り神として勧請したのが「八坂大神」、「壽福寺」の南隣りにあります。
鎌倉時代より中世を生き抜き、明治維新まで血脈は受け継がれたようです。
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