関東管領は室町幕府が設置した鎌倉府の鎌倉公方を補佐するために設置した役職名です。鎌倉公方の下部組織でありながら任命権は幕府将軍にあった。
正平十八年三月(1363)に上杉憲顕(山内)が鎌倉公方足利基氏の執事に任じられ、初代の関東管領になって以来鎌倉に居住した一族から犬懸・山内・宅間・扇谷の四家がでた。宅間上杉家は早くに衰え、犬懸上杉家は上杉禅秀の乱により主流派から脱落した。山内上杉家と扇谷上杉家の二家が主力となるが関東管領の職はしだいに山内上杉家の当主が世襲していった。
鎌倉時代に戻りますが、初代「上杉重房」が鎌倉幕府六代将軍に迎えられた後嵯峨上皇の皇子「宗尊親王」に従って鎌倉へ下向し有力御家人の足利氏と姻戚関係になり重房の孫「上杉憲房」は妹の清子が尊氏・直義兄弟の母であったことで尊氏に協力し功績をあげてきた。
その後、五代目「上杉顕定」は扇谷家を起こし六代目の「上杉定正」は大田道灌を起用して勢力を拡大させた。史跡碑が扇ヶ谷2-4-16 英勝寺の前の踏切りを渡り北へ50メートルいった右側に建っています。
[宗尊親王に従ひて鎌倉に下り丹波国上杉荘を賜りて初めて上杉氏を称せるそのひ孫憲顕基氏の執事となりて一族勢力を関東に占む扇谷家六代の主定正大田道灌を用ひて家声をあくるや世に宗家山内と共に両上杉又は両管領と称すこの地邸址なり] 碑文概略
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