十月二日(日)鶴岡八幡宮「槐の会」による第四回「崇敬者大祭」が行われました。午後より、三十一世小笠原清忠宗家による流鏑馬も行われました。
「吾妻鏡」に流鏑馬の記述がありました。源義経が平泉で自害。頼朝が奥州藤原氏を討ち奥州平定の一年前、文治三年(1187)八月十五日鶴岡放生会があった。
頼朝公がお出まし、源範頼・平賀義信・加々美遠光・安田義定・源広綱・小山朝政・千葉常胤・三浦義澄・八田知家・足立遠元らが従った。流鏑馬が行われた。射手五騎が馬場に移動して、それぞれが射終えたが的に当たらない者はいなかった。
一番 射手 長江義景・・・坂ノ下御霊神社の祭神景政の三代の孫
二番 射手 伊沢信光・・・甲斐源氏
三番 射手 下河辺行平・・頼朝公より信頼され弓の師範 四番 射手 小山千法師丸・鎌倉時代前期の武将
五番 射手 三浦義村・・・三浦一族
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