トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第288号 


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もちださんの鎌倉リポート No.288(2018年1月11日)



No.287
No.289



コリア庭園・1



県立三ツ池公園にて
 県内の特別要介護施設「やまゆり園」でおきた事件は、識者におおきな衝撃をあたえた。障害者だけではない。いわゆる痴呆症患者や、拉致ミサイルなどのテロ行為をくりかえす虞犯性外国人などへの深刻な反感は、どこから生れてくるのか。無責任に差別の反対を唱え、だれかに負担や責任を押し付けて得意がるだけでなく、差別の成因には社会全体が、もっと真剣に目をむけるべきなのだろう。

 在日韓国・朝鮮人のために各地につくられた慰安施設「コリア庭園」。本国は御存知、いかなる国際合意もふみにじる無法国家。「慰安婦ミングク」「生活保護者」「クレクレタコラ」・・・そんな心ない批判を封じ込めるため、古代韓国にあったかもしれない幻想的な貴族邸宅をイメージしているという。庭園といっても陰陽石などがおかれた造園部分はわずかで、建物の前、広場部分は在日韓国人が民族踊りを「披露する」ための遊戯スペースになっている。


 高床建物は、両班とよばれる朝鮮貴族が宴会などをおこなった「楼」とよばれるもので、現地にのこる古いものはみな神社の神楽殿のように、壁が吹き放し構造になっている。それだと冬は氷点下になり、夏の夜にはマラリア蚊をはじめ各種の虫があつまってくる。そこで、ひかくてきあたらしいものには、日本の古民家を模倣して明かり障子などの建具をくわえている。民族極右は併合文化を否定するため、日本の影響をみとめようとしない。併合以前の一般民衆はウシの糞などで壁をぬった真っ暗な竪穴住居がふつうで、大陸の炕(かん)をまね、家全体を炊事の煙でいぶすことで寒をふせぐオンドル構造にしたものも多かった。

 神話学者エリアーデによれば、未開人には「歴史への恐怖」があるという。ほんとうのことは、何も語らない。たとえば冷麺のルーツは冷やし中華の関西方言であるらしく、かつては韓国でも「酢醤油に和辛子」をつかっていた。プルコギもかつては七輪ではなくて、中華鍋で何日もかけて「煮」た。唐辛子もまだ粉末化の技術がなく、いみじくも金正日が「キ、ム、チー」と揶揄したような、「昨今の」赤い韓国キムチは元来、存在もしなかった。



民意を支配する老婆像(読売・時事)
 在日愛護運動は、大正時代の社会主義者による「亜細亜主義」に源を発している。1930年代には近衛内閣の与党となり、安価な労働力とひきかえに「亜細亜の為に死なう」などと余計なことをかんがえ出し、独自の正義に酔いしれたそのはてに、新聞はヒモ付き活動家を扇動して大政を翼賛、ゾルゲを近衛に紹介し、戦争を「予言」して防空壕などを掘り始め、400万部を背景に八紘一宇・対米開戦を主導した。戦後は一転して「自分以外の日本人は全て右翼」などと責任転嫁に没頭、いまもなお「国民全体による解決」を声高にさけんで購読者以外へのツケ回しに終始。真摯な反省などどこ吹く風、銀座の土地はそのままに、いわゆる鉄板の反日勢力として今に至っている。

 なぜ、「アジア」なのか。国策で「アジア」に技術供与した企業は模倣品の氾濫でさながら倒産の危機、国内の労働環境も「アジア並み」に荒廃。いったい誰のための「社会主義」、誰のための「友好」なのだろう。子供の自殺、凄惨なパワハラ、誰からも相手にされず、ほんとうに救いを求めている人、介護離職者など、「健康で文化的な最低限度の生活」すら奪われつづけている人々は、別にあるはずだ。

 独立意識が希薄で、愛護されることになれた未開人が、旧社会党系勢力や朝日新聞社グループに容易に接近・従属してゆくのも、無理からぬことであろう。反日を煽りながら支援のカネをちかつかせ、根も葉もない歴史オナニーにさえ手を添えて、日々熱心に指導する戦争犯罪者たちの甘いことばにおだてられたその果てに、あたかも自分が「真の革命家」で最先端サヨク運動の【主人公】であるなどと、たあいもなく信じ込むに至る。未開人はかっこうのカモ、ひかくてきだまし易い相手なのだ。


 1816年、イギリスのアマースト使節団が清との交渉の帰り、はじめて朝鮮の沿岸に立ち寄ってみると、世にも醜い土人の群れが裸で興奮し、船に向って石を投げてきたという(岩波文庫「朝鮮・琉球航海記」)。パタゴニア・タスマニア発見に遅れることはるかに遅く、近隣国にすらほとんど知られることのなかった未開地は、戦前戦後、日本の巨額支援によって一定の近代化をなしとげた。韓国GDPのグラフをみても、どの時代にどれだけの規模の支援があったかは露骨にわかる。

 乞食は援助に感謝などしない。生涯金持ちを呪いつづけるのだ。いまや最低賃金は先進国レベルにちかづきつつある。それでも「たかり生活」がわすれられず、宗主国に執着。数兆円にもおよぶ在日金融の破綻にも、おんぶにだっこ、本国は一ウォンもだそうとしなかった。従来型の「友好」とは結局、たえず他人の家の台所をあさる、生得の廃人を生むだけに終ったのだ。

 介護されることが当たり前となり、自己正当化(とりつくろい)のための他罰的妄想や攻撃衝動に支配され、感謝の心などとうに失せている。痴呆がすすんだ病人が、自尊心だけは増進し、みえすいた嘘をとくいげに繰り返しては相手にされず、逆恨みばかりをつのらせてゆく。障害者扱いに激しく抵抗、オムツをはかせる介護者への、筋違いな暴言暴力。排泄物をたれながし、さっき食べたばかりなのに「メシはまだか」、真夜中に「老眼鏡を隠した」などと騒ぎ出す、それとおなじ。嫌韓ブームの中心には、無責任な愛護運動などではけして解決されるはずのない、現実世界への深刻な無理解がよこたわっているのだろう。


 日本における反日運動は古く、江戸時代には中華主義に凝り固まった朱子学者によって主張しつづけられた。秀吉の対明征伐が放棄された直後から、一部儒者は支那賛美にあけくれ、日本を卑下する挑発をはじめた。「日本は倭奴」「蛇の体の黄帝は実在するが、神武天皇はいない」などといったいびつな【進歩史観】は実は儒学者の創始したもので、江戸中期にはかなりありふれたものだった。偽書まで創作する頭のイカレた学者もおり、もはや清国を征伐して日本がそのうえにたたなければおさまらないという空気が充満した。戦争は、言論と教育によっておこるのだ。

 安定した身分秩序をこわすには戦争しかない、・・・それはダメ人間に共通した、積年の大願。報われぬ射幸心に大金をつぎ込むのは、パチンコとおなじだ。やがて大正デモクラシーをへて、中華主義の概念はそのまま国境をこえた「社会主義インターナショナル」、すなわち「超国家」主義へと再塗装された。文化の劣った中国や朝鮮をたえず開化指導し、援助することは快感だった。反日という挑発があればあるほど、それを覆す現実がたまらない。日本に革命をおこすため、あえて外国人による犯罪を教唆・扇動し、積極的に反日テロに利用して快哉をさけぶむきもあった。社機「神風号」を飛ばし闇資金の調達に邁進、「大陸新報」などの傀儡紙を発行し、わきめもふらず民族憎悪や敵愾心を醸成、表向きの友好、おためごかしの徹底援助が崩壊し、戦争以外に選択肢がなくなるまで、対支工作に専心したメディアすらあった。

 進歩的文化人はやがて亜細亜以外のことは何も考えられなくなり、「亜細亜のため、全ての日本人が犠牲になって、米英帝国主義を打倒しなければならぬ」、そんな聖戦思想すら口走るようになっていった。



霊獣や売笑婦「別冊太陽 韓国・朝鮮の絵画」平凡社2008より
 未開人は神話に固執し、一切の変化をこばむ。有史以来、周辺国に侮蔑的な言動をやめることはなかったし、漢・魏・隋・唐・遼・金・元・明・清・・・すべての国に挑んで征伐されても、けして学ぶことはなかった。カネをせびりながら援助されている事実をみとめず、援助をたかりながら債務感を否定するため、ますます意固地になって慰安婦物語に固執し、つじつまあわせの反日【神話】をかたく信じ込むようになる。

 未開人にとって比喩と現実、他者と自我とは区別できない。こどもがウルトラマンと自分を混同するのとおなじ。自我機能が不安定な未開人にとって、巨大なウシやトラに挑まずには成人とはみなされず、聖獣を倒すことによってはじめてその強大な霊力が宿って人間の形になる、などと考える。それゆえ、いまなお【憧れの国々】に「妄想の自我」を投影し、ひねもす狂気のような思いをつのらせる。どんなにたわけた作り事も、恥知らずな誇大妄想も、かれらにとってはすべて現実と等価であり、さしせまった迫真の「真実」なのだ。

 韓国では数年前、「ムクゲの花が咲きました」など、日本人虐殺を謳歌する映画がヒットした。東北震災には歓喜の横断幕をかかげ、実際に兵器級濃縮ウランが密造されていたことも発覚(「原水禁ニュース2004.11号」)。指定暴力団の幹部として組を運営、カルト教団を組織したり武装密漁船を展開、無関係な北方領土問題にさえ介入。感情を抑制できず、他者への執拗な迷惑行為でしか虚勢を張れない意識レベルは、幼児そのものでなくて何だろう。



朱子学者・軍事教練(同書・19世紀)
 それらはしょせん、くだらない部族による、くだらない喜びでしかないのかもしれない。たんなる「かまってちゃん」なのか、慢性的な譫妄によるのか、それはしらない。発達障害とは、なにかを教え諭したり、処罰によって治癒し更生するようなものではなく、純粋に【病理学の領域】なのだ。しかし、支離滅裂な自分の欲望を叶えるために未開人を利用、ひたすらフレーム‐アップし、食い物としてきた「一部日本人」を総括することは、話が別。

 かつてはサヨクと名がつけばすなわち聖人で、なにひとつ批判できないかのような淀んだ空気感につつまれていた。そのあいだ、社会主義はひたすら本来の目的を喪失し、腐敗・頽落を重ねていった。かつてマルクス主義が【経済学】であったことを、覚えている人間はいるのだろうか。日教組はみずからの労働管理すら放棄して組織的に政治運動に専従、小中学生を戦犯視して自分や中韓のファシストに土下座させ、快感にふける。マスコミは虚偽の報道で慰安婦人形などをつくらせ、「じぶん以外の日本人は軍国主義だ」などと、世界各地に悪びれもせず触れ回る。じぶんでやった珊瑚の大量殺害を「日本人」一般になすりつけ、殺人教団に弁護士一家の住所をおしえるなどして、嬉し涙ではしゃいでいる。そんなことをしても、かれらの過去(=戦争犯罪)が消えるわけではない。自分が犯した過ちは、他人ではなく、みずからが噛みしめるべきものだ。

 特定民族にたいする生理的な嫌悪感・拒絶反応が【うみだされ】てゆく背景には、およそこうした根深い構造がある。わたしたちが真に憎むべきあいてはだれなのか。文化人にはいまいちど現実を直視してもらいたい。草にすわれば、それがわかる。


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