
 明月院やぐら。めずらしい二尊形式。中央の塔は寺を中興した上杉道合の墓と伝える。
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退耕行勇らにより百八やぐら付近で伊賀朝光の葬送および追善等が行なわれたという「吾妻鏡」などの記事(1215)は格段に古く、やぐら起源をかんがえるうえで大きなポイントとなっている。いまのところ、そこまで遡る出土資料はないようだ。
サンスクリット文字の装飾などから、やぐらを広めていったのは台密・東密を兼行した禅律の僧であることはほぼ明らかである。律宗中興の祖・叡尊が新清涼寺釈迦堂に来たのは1262年。有力者の葬送記事や前期やぐら群の位置からみると禅僧の役割も相当大きかったと思われるが、具体的なことは何もわかっていない。また、やぐらが密集するのは鎌倉周辺と(当時権門の直轄領があった)房総だけのようである。
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