
 切岸。造成などとは無関係な山や林の中などにも、ひとしれず続いていることが多い。
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ただの石切り場とか、だんだん畑の跡だとかいってやみくもに否定する説もある。そう思うひとは、いたるところに分布する砦の形をした石切り場やだんだん畑を想像していただいてもよい。ただしこれらは羅城のようなものではなく、大部分はまちの内側をむいている。はじめはふもとの谷戸をまもる程度のものとして内側からすこしづつ造られ、やがて町の外縁をかこむまでになったのだろう。
落とし穴のような堀切をほり、木や竹のトゲを植えることを「逆茂木」という。「走木」は丸太を吊るし敵に落とす。たとえば旧大仏坂の、せまくけわしい切り通しのうえでブランコのように揺れていたら怖いだろう。鎌倉の山々には、戦時仕様の地形の面影が残る。侍たちはトゲを避けるため、近在の家をバラし、その板切れや馬や味方の屍骸を投げ込んで埋め、ためらいもなく踏んでわたった。
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