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もちださんの鎌倉リポート No.331(2019年3月13日)



No.330



朱子学と廃仏毀釈・3



バラやヘボンが住んだ成仏寺
 幕末に来日したアメリカ人宣教師の妻、マーガレット・バラ(Ballagh1840-1909)はプロテスタントに凝り固まっていたため、仏教の偶像崇拝を憎んだ。滞在場所にあてがわれた神奈川の成仏寺は、その後仏寺に復帰したが、数十年経った後の回想でも、日本から偶像崇拝がすたれ、この寺がやがてキリスト教会になるだろうという夢をすてていなかった(「古き日本の瞥見」有隣新書)。

 比較的穏やかな社会や鎌倉大仏の美術的壮麗さ、とりわけ日本の美しい鐘の音を聞いていると、つい「憎むべき」異教の風習にのみこまれそうになる、そんな心の葛藤を記したのは、宣教師一家としての立場と使命感によるものだ。近年、いちぶのキリスト系民族至上主義団体が、自他の区別もなく日本の寺社に油をかけるなどの異常行動をつづけているが、その点では19世紀の宣教師のほうがずっと自制的だったともいえる。・・・ただ当時、仏教を憎んだのは外国人宣教師だけではなかった。

○ 浅草の観音も、追い/\開化の世と成つて、あの様なもの(*雷門)を門番として置いては、世間に対して恥づかしいと思ふてか、手廻しよく焼いてしまふた。さすがに心得のよい事でござる。(加藤祐一「文明開化」明治六年)



小机霊場は伝道士ヘボンの施療所に(横浜市)
 雷門はそのまま、戦後まで復興されなかった。風神雷神のようなものは「今では三歳の小児も承知せず、あほらしいといふ様になり」と、著者は当時の世相をつたえている。加藤は当時、大阪で五代友厚とともに活躍した実業家でもあり、一般庶民が信じる淫祠や迷信には、とかく否定と啓蒙を惜しまなかった。

 明治人がすがったのは、たしかに西洋近代文明ではあったのだけれど、その精神的支柱はもちろんキリスト教プロテスタンティズムによる「正義」や「使命感」ではなかった。「道理」「気脈」「順・逆」など、加藤が用いる術語はほぼ儒学そのまま。幕末の開港時代、加藤は熱海に湯治にでかける異人の監視役などに任じたから、洋学の知識はもちろん異国への警戒感も、とうぜん叩き込まれていたのだろう。維新後は実学のかたわら、国学者ばりに神代巻なども講義しているが、その「近代的」な神道観にはなお、固陋な朱子学(性理学)的思考が顕著だ。同書には以下のような解説がある。

○ ここにひとつ、不思議と云はふか、妙と云はふか、とんと名の付け様のない霊物がござる。その霊物が則はち神といふもので、こればかりは形もなく声もなくして、天地に充満してござるもので、これを名付ければ、天地の魂といふべきもので、則はちそれが神でござる。・・・人の体を小天地と云ふたも、天地と同一体といふ意で、・・・神は根・幹・木で、人は枝葉じや。



鐘楼・経蔵・仁王門などがあったころ
 「忠孝」「絶対服従」の軍隊式教育や極道のいう「仁義」などというものも、元をただせばすべて教壇からでている。ある田舎高校ではいまどき礼儀教育だとして、教職員が女子生徒全員に毎日「叩頭(土下座)」を強要。画像が流出したSNSでは「監獄生活」「まるでソープランド」などと、非難の声が殺到しているという。

 朱子学による受難は、必ずしも仏寺ばかりでなかった。神道が画一化されたのは、国家の宗廟としての祭祀しか認めない儒家神道の影響であり、民間の小社・とりわけ国際化にふさわしくないとされた神社は「淫祠」として次々に破却されていった。保護された側の神社もまた、「近代的」な学説に従うことが義務付けられ、祭祀法はもとより神殿の様式、祭神名までもがこと細かに指示改変され、朱子学思想にもとづく【大東亜通用の神】へと「修正」を迫られた。民族主義の根幹が神道に固有のものでないことは、原爆を祝う近隣国の異様な儒教文化はもとより、鉤十字(国民的社会主義ドイツ労働者党)やアメリカのWASP(*プロテスタント白人至上主義派)など、キリスト教団体を見ても、論を俟たない。

 終戦直後にかかれた永井荷風の著作集「勲章」には、浅草寺も焼け、のこった寺社もGHQによって続々取り壊されるのではないか、と悲観的なみかたを表明。稲荷や天神様など一部をのぞけば、八幡宮はもちろん、ほとんどの神社が「軍神」とみられてもしかたない、といっている。その杞憂はともかくとして、荷風はもともと画一的につくられた近代以降の神社の雰囲気が、あまり好きではなかった。



存在しない印鑑や文献名、古代文字(藤貞幹「好古日録」「衝口発」より)
 朱子学がもたらしたものは、そればかりではない。

 一部の新聞を中心として流行っている「反日史観」。いちおう記者の「仮説」とか「独自の分析」とか断わってはいても、「万葉集は韓国語」「挺身隊は慰安婦」「自分以外の日本人はすべて軍国主義」などと、あの手この手で触れ回る。一般人はともかく、自称「進歩的文化人」にも受けがいいらしい。・・・ただ、こうした「革新史観」には実は元ネタがあり、「衝撃の新説」どころかそのほとんどが、江戸時代から識者の眉をひそめさせてきた気違い学者の安易な焼き直し、先祖がえりでしかないようだ。

 藤貞幹(藤井叔蔵1732-1797)の素性はさだかでなく、京都仏光寺の和尚の寵童とも私生児ともいう。おもに金石文などを専門としたじみな学者であったのだが、やがて博学を気取り珍書稀書の「新発見」にこだわるようになり、和漢のにせ書籍ばかりか卑弥呼がもらった印章とか「古代の文字入り古瓦」など、ありもしない拓影の捏造にまで手をそめた。かれがまじわった篆刻家には、韓天寿(中川長四郎)とか高芙蓉(大島逸記)とか、祖先は渡来人といつわって名を売った者が多かったから、自身も朝鮮などに固執して、仲間内になんらかの歓心を得たかったのかもしれない。新井白石ら旧来の「記紀批判」とちがうのは、悪意ある反日妄想と、露骨な愛韓精神に貫かれていた点だ。



叔蔵自画自作の「ふんどし図解」(ndl)
 「衝口発」1781では、「古文書によれば、素戔嗚は新羅の亡人」「ニニギのミコトは奄美群島出身」「古代の日本には言語も衣服もなく、小野妹子は褌一丁で隋にいった」などと図入りで主張したが、根拠とした古文書はどれも実在しないにせものだった。当時の考古学的知識では限界もあったかもしれない。「褌(*チハヤと解している)一丁」などはおそらく「職貢図」や「貫頭衣」などから着想したのだろう。しかし「応神天皇のとき韓服がつたわった」などとしながら、「妹子の時代には、まだ裸」だなどと、つくウソ同士が前後で矛盾。場当たり的な自家撞着が多く、きわめて杜撰な印象を否めない。

 ところが反日的でスキャンダラスな内容が素人にはバカ受けしたらしい。中国小説の翻案でしられる上田秋成は「嘲日・侮日で何が悪い」「中韓は正しい」などと論点をすりかえ、本居宣長に無意味な論争を挑んでいるが、貞幹論文の検証については完全にどこかへいってしまった。しょせんは素人の感情論にすぎず、事実の誤りを韜晦するレトリックにすぎない。相手をした宣長も随分とお人よしだが、それだけ騙される教養人が多かったのだろう。宣長のいた松阪ふきんにも当時、上述したような「にせ外国人(儒者)」が多数跋扈していたのだ。

 「衝口発」という題は、そもそも思いつき、といった程度のいみだから、ウソを洗い落とし、より学術的に煮詰められていくぶんには、なんの問題もなかった。しかし秋成のごとき読者は、ウソをそのまま風呂敷に包んで聖書のように崇拝、一字一句まるごと狂信して随喜の涙を垂れながしていたにすぎない。いまどき藤貞幹をしつこく称揚するのは、在日系の民族極右が指導する反日文化人グループ。中公新書「物語韓国史」(金両基、1989)では、日清戦争を1905年の出来事であるかのように、得々と「物語」っている。自国にある日清戦争の凱旋門を、あたかも「独立門」であるかのように言い偽るため、苦肉の果ての工夫らしい。これが日本の公立大学の教授だというのだから、油断もすきもあったものではない。



臨安・南京・開封・蘇州。中公新書「中国中世都市紀行」1988より
 「覚醒したじぶんは他の日本人とはちがう、全宇宙のとくべつな存在になった」かのような、根拠のない自信と恍惚。ありていにいえば、「反日」でありさえすれば、どんなに杜撰な嘘でもゆるされる。宝くじが当らないのも人種差別、保育園落ちたら日本死ね。未開な精神にとっては宗教も学術もみな短絡的で、「中二病」「譫妄」「シャブ中」のようなものでしかないのだ。

 某大手新聞の某記者は「中国では王宮は北に置くのが決まり」などとし、宮殿を中央に置く藤原京(奈良)は韓国式、だなどと根も葉もない妄想記事を書いている。そもそも百年にも満たぬ中国の歴史のなかで代々の王宮など存在しないが――たぶんこの男は「唐の長安城」のことをいっているのかもしれない。唐の長安はたまたま北下がりの地形で、渭水(黄河源流のひとつ)の河岸段丘にもともとあった漢の旧都を見下ろしたため、北側にはあらたな都市をつくらなかったにすぎない。洛陽や北京(大都)など、他のほとんどの都ではそのかぎりではなく、臨安などはむしろ南端。ぎゃくに「宮殿を中央に置く」朝鮮半島の王都などなく、開城もソウルもあきらかに山際だし、慶州・平壌にいたっては焼き芋型の山城で、そもそも記者の主張に合致する事実など、ひとつもない。

 もちろん専門家ではない記者さんの浅い知識を笑い物にするのはきのどくなのだが、それではなぜ、「事情通」「歴史博士」を気取りながら、こうした支離滅裂な「推理」を日々、購読者を諭すかのように説き聞かせたがるのだろう。こんなものは酔っ払いのほら話のようなもので、気持いいのは自分だけ。自分、自分、自分。【自我肥大】のその果てにドツボにはまった見苦しさを、そろそろ気づいたほうがいいと思う。


 「正義」にはなにものか不純なものが抱き合わされているのだが、光はいつも信者の目をくらましてしまう。議会をひらき民主政治をはじめることは五箇条の誓文にもうたわれたが、昭和の普通選挙制度はマスコミの煽情報道を正当化、またたくまに泥沼の衆愚政治におちいった。仏像を破壊したり古代中国を拝んだり、「心情左翼」をかたって在日参政権を悲願とし、安倍トランプ政権を攻撃したところで、得るところは目先のカタルシスにすぎない。次になにが来るのか、どこへ誘導されてしまうのか、だれも想像だにしていないのではないか。

 かつて報道各社は、「オウム疑惑は破防法の成立をいそぐ自民のでっちあげ」「成立を許せばわれわれ市民団体も逮捕される」などのデマをひろげ、【弁護士一家惨殺】に協力するなどしてカルト教団と一体化、感涙にふけった。また中国共産党のしわざである「天安門事件」を勝手に日本に置き換え、武装ゲリラをひきいる筑紫キャスター(当時)が戦車にのった小泉首相(当時)を殺害する英雄アニメまで放映。北朝鮮報道では「拉致疑惑は朝日友好を快く思わない自民党の若手・石破茂、安倍晋三(当時)らによるでっち上げ」などと推理した(朝日新聞「変るタカ・ハト」2002.4.14)。処罰感情のみで他人を評価し、一切の批判を封殺した時点で現実問題は捨て去られ、「正義」は腐爛しはじめる。自己聖化をくりかえし、とりつくろい、銅像を建て、おれに意見する者はすべて間違っている、そんな痴呆の彼岸へと到達するのだ。

 宋代の富豪の「古民家」なるものが現在の中国・安徽省などにいくつか残っているが、そのなかには阿片吸引のための専用の部屋がもうけられているという。漢方では現実世界を忘却し仙人の世界に浮遊する、神秘の薬と考えられていた。脳内麻薬、なんて言葉もあるように、「絶対正義」なんていう思い込みはかえって人間の思考や成長を阻害し、組織や国家まで蝕んでゆくものなのだろう。


No.330