トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第382号 


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もちださんの鎌倉リポート No.382(2020年8月4日)



No.381



コロナ下の世界



若宮大路
 これは去年撮った鎌倉の連売で、いろいろ買い込んで重い荷物をもってたせいなのか、この写真の約一時間後には事故にあって、左手の骨を砕いてしまった。いまでも時々は痛むし、握力はギターでいうところのFのコードが濁るくらい。おかげ様でとくに日常生活に困ることはないが、不要不急な「再手術」については、コロナとかいろいろあって、どうなることか詳細不明。

 その日は大町の八雲神社で湯立てのお祓いを受けたばかりだったから、さいわい頭をアスファルトに打ちつける寸前、とっさに左手を犠牲にしたほかは打撲や摺り傷程度で済んだのだけれど、家族は「縁起でもない」といって、もらってきた「ひもろぎ」の幣を捨ててしまった。そのくせ連売で買った甘酒とか、神楽でまかれた飴とか蜜柑とかはちゃっかり食べたらしい。まあ、なにかのせいにしても詮のないこと。予期しないできごとなんて、きっと誰にでもやってくる。よいことも、悪いことも。



小町通り
 巷をゆるがせている新型コロナ‐ウィルスは、主に飲み会などで拡がっているらしい。感染予防のためのモラルは、きちんと守るひとと守らない人とがいる。完全に油断した人、悪意をもって他人にうつすことを目的にした人。これには明確な地域差なんてない。Goto割引がなくなれば解決するとか、旅館業や飲食業なんかつぶれればいいとか、検査を増やして医療崩壊を招けば安倍政権が崩壊するとか、相変わらずテレビでは名も知らぬ専門家が、好き勝手なことをいっている。

 「神奈川には来ないでください。神奈川から出ないでください」などと、緊急メールを送りつけてきた黒岩知事も、最近は「観光客に来ないで、なんて言えない」などと、すっかりしおらしく、トーンダウンしている。ただ、酒場に休業要請するにしても、その責任は「野放図に飲む人間」にあって、その補償を割り勘感覚で国民の税金にもとめるのは、ちがうと思う。

 受益者負担・加害者負担を徹底するなら、禁煙キャンペーンでしたように、酒税を上げるのが筋。教訓や要請でひとを動かすことはできないが、必ず損をするくらいなら進んでやめるだろう。もともと飲み会なんか参加しない者を村八分にして叩くのが目的だから、それが怖くていやいや参加していた者も多いはず。学生気分の安酒でそんなくだらない遊興にふけるより、たまにしずかなバーでヘネシーでも飲むほうが、よほど健全かつ感染をふせげるにちがいない。毎日から週一、月一にへらす。それがそんなに苦痛だろうか。


 これまでお寺や図書館、銀行、コンビニやみやげ店などで感染した例はきいたことがない。拝観停止・公共機関の閉鎖・帰省の禁止・都民を限定しての宿泊拒否など、ある種過剰防衛だったのかもしれない。都会の満員電車なんか確実に「密」だから、そこで毎日100万単位のクラスター感染が起きてもふしぎはないが、感染者数の内訳や、鉄道がない島との比較をみる限り、とりわけ感染経路に疑われるほどでもない。つまりきちんとマスクをしていれば、かなりの程度ふせげることを意味しているのだろう。

 都会の住民の大部分は地方出身者で、都会に過剰な偏見やひがみ根性をいだくのは残された者。米津玄師もOfficial髭男dismもみな地方出身。首都圏のバンドのほうがはるかにくそダサいのだから、いまさら何に怯え、ひがむ理由があろう。岩手にだってすでに上京者はおおぜいいるし、岩手にも3密の酒場はいくらもあるはず。全国チェーンの店はどこもおなじだし、アマゾンの原始部族でもないかぎり、感染を拡げる条件なんか、都会に限らずきっとどこにだってあるのだ。人口当りの感染率が異常に高い県は、はやくから北陸地方などにも見られた。

 酒場のばあい湿ったグラスを長時間にぎりしめ、ちびりちびりとなめまわすうちに、大気中のエアロゾルを手や口の周りに蒐集してしまう。ホストやホステスは稼がなくてはならないから、いやがおうにもマスクをはずして接待する。カラオケではとうぜん大量の息を吸い込むし、また吐きちらす。冷えたピザやドリンクに例のミストがふりつもる。感染に気付かない人が混じっていたとしたら、そりゃ染るだろう。



さまぁ〜ずさんのにがお絵も・・・
 ここぞとばかりに医療従事者や帰省家族を差別・中傷するひともいるらしい。じぶんはちがう、じぶんは安全、自分は偉い。これこそ田舎者特有の思い上がり。だが飲み会をするかぎり、地球上のどこででも、危険はみなおなじだ。スモール‐ワールド現象(Six Degrees of Separation)とかいって、世界中の人は知人どおしを6回ていどたぐってゆけば、どこの誰にでも辿りつく、とされる。もはや誰が「隠れた感染者」であってもふしぎはない。田舎のばあちゃんのほうが保有者だった、なんてことも不思議じゃない。犬にすらうつる。ただモラルさえまもっていれば、自分が染す確率も染される確率も、格段に低くなるはずだ。

 日本国憲法は、国民すべての基本的人権を保障している。酒を飲み歩く自由ももちろんあるが、それは下位の概念であって、自由には常に「公共の福祉に反しない限り」という制限がついている。たとえばマスコミが金科玉条とする9条をたてに「自衛隊は違憲」「アジアのために無抵抗で死にましょう」などと強制したところで、そんなものは基本的人権である「生存権」の前においては無効でしかない。憲法が保障する「その福利は国民がこれを享受する」のであって、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」(序文)と明確にのべている。したがって国民の生存権がおびやかされるとき、もはや二義的な概念である9条もまた死文として排除される場合もありうるということだ。

 9条を活かすためには、まず「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」(序文)できる環境を前提としなければならない。やみくもに反米をふりかざし、中韓を煽りに煽って危機と紛争を生み出すようなばかげた反日勢力が、9条のみにたよって憲法の精神を語るなど、無知と狂気の沙汰としかいいようがない。かれらはただ自らの利欲のために「国民の死」をねがっているだけ。モテない自分、びんぼうな自分は被害者で、他人はみんな死んでしまえ。それが進歩思想だというのなら、進歩主義などすでに死んでいる。


 メディアにはスポンサーがあり、ビール会社やパチンコ業者をつねに讃えなければならない、という事情もあるのだろう。そこには億単位の金が動いている。幹部にとっては、カネをくれる者だけがお客様。公正と正義なんか二の次だ。記者やキャスター、コメンテーターは、まいどアベノマスクの悪口でお茶をにごすなどして、視聴者をうまく丸めこめなければクビになってしまう。目の前に火が燃えていても、だれのせい、どれだけ拡がる、などと面白半分に騒ぐだけで、けして消しはしないだろう。消えたら「いい絵」が撮れなくなる。・・・

 危険性の証明について、いまだ何の報道もない。青梅と新宿のちがいなんて都民なら誰でも知っているのに、けして伝えようとしない。いぜん「カワセミ」の項で書いた公園のそばの病院にも感染者がでたというベタ記事をみたが、その後はいっさい施設名を書かなくなった。湘南鎌倉総合病院に近接して県がプレハブで仮設した中等者向け収容施設は、さて、その後どのていど稼動しているのだろうか。

 「3密」とひとくちにいっても、鎌倉の路地裏と東京の路地裏とでは、規模も密度も人のでいりもことなる。夜の鎌倉は、もともとそんなに人通りはない。寺めぐりのあとに夜遊びしたい人は多くないのだろうし、それでもしたい人は藤沢や横浜、湘南新宿ラインへと繰り出す。もちろん寂れた地方都市の感覚からみればじゅうぶん賑やかと感じるんだろうけれど、新宿とくらべたら終電以降だ。



三軒茶屋の路地裏(仲見世の奥)
 世田谷には90万超の人口があり、山の手の下町とされる三軒茶屋には、こんなせまい路地も多い。地方では場末感がただようはずの盛り場のはずれにも、住宅地も幼稚園も高層マンションもあり、ちょっとした抜け道として老若男女の人通りはたえない。ぼろっちい飲み屋を居抜きで借りておしゃれに改装、若者向けのエスニック食堂とかも次々にうまれている。

 つぶれる店、開く店は都市のメタボリズム(代謝)をあらわしていて、ただ潰さなければいいというものでもない。傷口がおおきくなるまえにあらたな商売を模索するのも道だ。いまさら、すずめの涙のような給付金で救われるなどと期待するひとは、けして多くはあるまい。その財源は国民の税金であり、国の借金・将来のこどもたちへのいわれなき負担でもあるのだ。

 コロナ対策によって、犯罪発生数や、その他のインフルエンザで亡くなる人の数は減っているとも聞く。不景気で廃業する人は、コロナじゃなくても「その他の不景気」で廃業したかもしれない。絶望なんてだれでもするし、死ぬ人は死ぬ。だれのせいでもない。そんなものは普段の心がけだ。「オレは死んでもかまわない」という自傷的な心情と「大勢にうつして、他人を巻き添えにして死んでやる」なんて悪意とは、きっと近接している。格差社会が深刻化するなか、他者をなんとかしてみずからと同じレベルに引きずり落とすことだけが加害者たちに共通する使命感、「ずるい連中を退治してやる」という、ゆがんだ【革命意識】なのだから。



新宿の路地裏(大久保病院のうしろ)
 新聞紙を数十回折ると、その厚さは月にも届く、という人がいる。しかし新聞紙が対角線より長く伸びることはない。ねずみ講(無限連鎖講)は理論上、無限に被害者を出すとされるが、被害はある程度でとまる。だれもが他人を騙せたり、また騙されるわけではないからだ。コロナも同様。だれもが一律にモラルを守らず、集団で飲み歩いているわけではないから、いつか拡大傾向は鈍化する。

 新宿の、こんなつまらない街並みになんであこがれるのか、よくわからない。なんの変哲もなさそうな、一見ありふれた雑居ビルの、魚屋の向いなんかにホストクラブやソープランドがあって、都会に執着するひとびとが働き、日々何千何万ものひとが、地方からも訪れる。・・・ちなみに、病院(hospital)の語源はホストやホステスと同じらしい。医術が未発達な中世には、路傍に徘徊する貧しい病人や飢えた旅人を収容し、その魂を癒すため、文字通り【接待】する慈善施設だったからだ。

 じぶんちの隣にあったなら大問題になるような盛り場も、ここではまるでしにせの名画座か写真館、理容室かなにかのように、ごくあたりまえに存在している。だれも自宅のとなりに火葬場とか廃棄物処分場・やくざの事務所なんて置きたくはない。でもそれは、どこかには存在しているのだ。ひとはきれいなものしか見ない。でもそれだけじゃない。コロナばかりではなく、容易に解決できないこと、自称「専門家」たちの美辞麗句ではけして救うことのできないことは、他にいくらだってあるのだ。


No.381