今さら「実朝」のリポートはないよ、と言われる方が多いのでわないかと思いましたが「頼家」をリポートしていましたので、不公平にならないようにとリポートしてみました。
*建久三年(1192)四月二日 御台所(政子)の御着帯の儀式があり、「平賀義信」の妻が御帯を持参し「頼朝」が結ばれた。 毎日安産の祈禱をするよう鶴岡の供僧に申しつけた。
*建久三年(1192)七月四日 ご出産の調度品が「浜御所」へ届けられた。
*建久三年(1192)七月十八日 御台所が「浜御所」へはいられた。
*建久三年(1192)八月九日 御台所が無事男子を出産された。 鶴岡や相模国の神社、寺社に神馬を奉り読経を修せらる。鶴岡の上宮と下宮に神馬二頭、ほかの寺社は「地頭」がうけとった。それぞれ御家人が、「御護刀」・「御馬」・「御剣」等を献上した。その後「阿野全成」の室の「阿波局」が「御乳付」をした。次に「御名字定」にて千幡(万)君とされた。
*建久三年(1192)十月十九日 御台所と若君が名越の「浜御所」から幕府御所にはいられた。
*建久三年(1192)十一月五日 若君の「御成始」が行われ「安達盛長」の甘縄の邸宅に入られた。若君は御輿にて「大弐局」・「阿波局」が同行した。若君は一日中おられ、盛長は御剣を献上した。
*建久三年(1192)十一月二十九日 若君の「五十日」・「百日」の儀式が行なわれた。時政が沙汰し、義時が陪膳を、時政が贈り物をされた。「御剣」・「砂金」・「鷲の羽」だった。 他の御家人達は「蒸し餅」を贈られた。
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