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リポート |
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大佐和さんの鎌倉リポート No.4(2005年3月24日) |
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| 古典作品にみる鎌倉4 「詞林采葉抄(1)」 |
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今回は『詞林采葉抄』(しりんさいようしょう)を取り上げます。 1.『詞林采葉抄』 しりんさいようしょう。万葉集中の枕詞・地名・難語などを取り上げて、考証・解釈を加えた注釈書。語釈だけでなく、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ※1)の没年や訓点(くんてん※2)の考察、万葉集全体の総論なども述べられている。成立は跋文より、貞治5年(1366)であることが分かる。 作者は由阿(ゆうあ:1291〜?)。遊行寺(ゆぎょうじ※3)に在住していたが、のち二条良基(にじょうよしもと※4)に促されて上洛し、万葉集を講じた。本書はこの講義をもとに執筆をしたか、もしくは講義に先立って完成させたものかと考えられる。 本書と鎌倉との関連は、本書の巻10で『万葉集』3433歌(→No.2-3)に詠まれている「鎌倉山」を解説していることによる。 という格調高い(?)書き出しで始まりました4回目のレポート。 大学も無事に卒業し、社会人になるにあたって気力体力ともに絶好調!! といきたいところなんだけれど、実は昨日、野球で足首を捻挫してしまい最悪の状態であります。 イテテッ… 先行き心配だよ。 |
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2.「鎌倉」の名の起こり 鎌倉山とは、鎌を埋(うつ)む倉という詞なり。その濫觴(らんしょう) は昔、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)いまだ鎌子(かまこ)と申したて まつりし頃、宿願おはしましけるによて、鹿嶋参詣の時、此の由井の里に 宿し給ひける夜、霊夢を感じて年来所持し給ひける鎌を今の大蔵の松が岡 に埋み給ひけるより鎌倉郡と申すと云々。 鎌倉山とは鎌を埋める倉ということばである。その起こりは、むかし藤原 鎌足がまだ鎌子と言われていた頃、年来の願望があって、鹿島神宮参詣の 途中、由比の浜に泊まった夜に霊夢を感じて、長年持っていた鎌を大蔵の 松が岡の地に埋めたそうである。そのことから鎌倉郡といわれるようにな った。 藤原鎌足(614〜669)は645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)とともに蘇我氏を滅ぼして、大化の改新に貢献した人物。出生地には様々な説があり、鹿島神宮(※5)もそのひとつとされている。 鎌倉の名称の起こりについてはいくつかの説があるので、ここで簡単にまとめてみよう。 (1)神武天皇(じんむてんのう)が東国を征討し、賊軍の死体が積み上げられ た屍蔵(かばねくら)が「かまくら」に訛った。 (2)鎌は竃(かまど)を言い、倉は谷の意味であって、三方を山に囲まれた鎌 倉の地形が竃に似ていることに由来する。(日本書紀・先代旧事本記の記 載に基づく※6) (3)日本書紀・先代旧事本記に「蘆カミ、蒲ミ」とあることより、鎌倉とは蘆 や蒲の生えた所で、海岸で蒲の生える場所である。 (4)比叡山にも鎌倉という地名があることから、鎌倉は神倉(かみくら)であ り、神庫(かみくら)の意味に通じる。(滋賀県と京都府の県境に鎌倉山 という山が今でもある) こういった説があるのだが、これらの詳細についてはこのシリーズの最終回に詳しく取り上げることにする。 |
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さて、この由阿の説、鎌足の生没年をふまえて考えると、前回のレポートで取り上げた天平5年(733)の「宮久保遺跡出土木簡」や天平7年(735)の「相模国封戸租交易帳」(→No.3-2/3)よりも古い時代のものとなる。また、『古事記』景行天皇条の鎌倉之別(No.3-1)の記載を史実と仮定して考えてみると、景行天皇の在位期間が西暦で71〜130年とされているから、景行天皇の御宇(ぎょう:天皇の統治する期間)の方が鎌足よりも5〜600年も前の話ということになる。 ☆ 「鎌を大蔵の松が岡に埋み給ひける」と書かれているが、「松岡山」を寺号に持つ現在の東慶寺との関係はない。浄妙寺境内にある鎌足神社(※7)がその地であるといわれてれているほか、『新編鎌倉志』(※8)には「鶴岡八幡宮境内にある丸山稲荷明神の旧名を松が岡明神といった」といった旨が書かれており、同書ではこちらが鎌を埋めた場所であるとしている。 詞林采葉抄のこの話を読んでいて思うのが、鎌足は本当に鎌を持っていたのかな?という素朴な疑問である。う〜ん、名前が「鎌足」だからといって由阿が勝手に鎌を持たせたのではないかな。そんな気がしないでもない。 しかし、ここで史実の是非を考えるのはやめておく。作品を読んでおもしろければそれで良いと思うし、何よりも書かれた内容に興味をかりたてられることが楽しいのだから。 私はただ、読むことが好きなだけなのです。 由阿のこうした着眼はとてもユニークでおもしろいでしょう。詞林采葉抄は作品全体が読み物としても楽しめますよ。 鎌足神社と丸山稲荷、ぜひ足を運んでみてください。 続いて由阿は、鎌倉が武家の都としてふさわしい地であることを、漢字の観点から考察しているのだが、それは次回に。 というわけで、次回も『詞林采葉抄』。 |
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