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リポート |
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poko fukuokaさんの鎌倉リポート No.27(2006年5月25日) |
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| 1/50000地図で見る稲村ヶ崎 |
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新田義貞が鎌倉に攻め入る時、宝剣を投げ入れ、潮が引き、攻め入れる事ができたと言われている場所です。 稲村ヶ崎は険しいですが、岬の先端をまわり込めば、あとは、由比ヶ浜が続いていると思っていました。 最近 古い地図を見て、この付近は埋め立てられて今のような地形になったのに気がつきました。 ですから新田義貞軍は、稲村ヶ崎を回り込んだ後、稲村ヶ崎から、霊仙山に続く岸壁の下を通った、上にはは、見張り人も居たわけですから、そこで見つからなく約1キロ行き仏法寺を占拠したわけですから、かなりの難しい作戦ですね。 地図の上に赤「▲」で書き足したのが霊仙山です。 この地形図は大正10年(1914)の修正測図 稲村ヶ崎から埋め立てられた由比ヶ浜への道は、まだできていない。 詳しく見ると色々、面白い江ノ電の稲村ヶ崎駅は描かれているが極楽寺駅は描かれていない。 極楽寺は「卍」のマークがないが「寺楽極」と書かれている、縦書きの大きな「極楽寺」は、この辺の地名を示している。 そして稲村ヶ崎の横には極楽寺川も文字も有り この辺は極楽寺だらけだ。 現代あじさいで有名な成就院は名前も「卍」のマークも無いのですが長谷側の極楽寺切通の前に小さな「井」のマーク これ星月夜の井を示していると思われるのですが、「井」マークは、油井、ガス井のことで、水の井戸には使わない、鎌倉の十井のため特別に使ったのかもしれない。 |
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昭和19年(1944)部分修正測図では、稲村ヶ崎から埋め立てられ由比ヶ浜への道が出来ています。 それ以外は あまり変わっていないようですが、よく見ると江ノ電稲村ヶ崎駅から北の方へ向かう道の周辺に、人家が増えているし駅の南側に郵便局ができた。 |
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昭和46年(1972)になると、地図も4色刷りのカラーになっているのですが、国土地理院では白黒コピーしかできませんでした。 内容をみると人家が増えて現在とあまり変わっていないように思えます。 江ノ電極楽寺駅は描かれた。 「井」のマークと「極楽寺川」の文字は消えました。 |
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写真は去年、新宿京王デパートの古本市で買った、絵はがきです、日蓮上人辻説法跡、稲村ヶ崎の不思議な組み合わせ、よく見ると、稲村ヶ崎は現在と同じように道路が出来ている。 この 絵はがき いつ頃の物かわからなかったが、日本語の説明は 右から左に書かれているので第二次大戦前、その下に英語で「美しい眺めの稲村ヶ崎、鎌倉」と書かれているのですが、第二次大戦中は英語は敵の言葉は使えないはずだから、昭和16年より前で、今回の検証から大正10年以降だと思われる。 |
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今回ホームページに地図を載せるために国土地理院に申請が必要かどうか尋ねたら、地図の一部分を小さく載せる場合は申請の必要は無いとの返事をもらいました。 しかしとの地図を使ったのかは明記してほしいそうです。 絵はがきの方は50年で著作の保護が切れるので問題は無いと思います。 |
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