鎌倉好き集まれ!十六夜さんの鎌倉リポート・第46号(2010年9月22日)

足利氏ゆかりのお寺 (2)

稲荷山 浄妙寺

総門

足利義兼-義氏-泰氏-頼氏-家時-貞氏-尊氏(初代室町幕府将軍)から十五代将軍「足利義昭」まで続いた。(初代鎌倉公方)は基氏-氏満-満兼-持氏-成氏五代まで続いた。( 足利義兼については九号でリポート済みですので今回は省略します。)

浄妙寺は「足利義兼」が文治四年(1188)に創建し、中興開基したのが尊氏の父で「足利貞氏」没後浄妙寺に葬られた。三代将軍「足利義満」が五山の制を定めた頃は七堂伽藍が完備し塔頭二十三院を数えたが火災などのため衰退していった。

本堂

足利貞氏公墓

歴史のある洋館を改装して・・・石窯ガーデンテラス

浄妙寺境内西北にある やぐら

浄妙寺境内に延福寺と大休寺(どちらも廃寺)が地図にのっていたので石碑でもあるかと思い出かけてみた。延福寺跡と思われる場所があった、その背後に「やぐら」も、足利尊氏の異母兄「足利高義」が母の供養のために立てたと言われている。

また尊氏の弟「足利直義」が延福寺に幽閉されていたが文和元年(1352)二月二十六日急死した。「太平記」では尊氏による毒殺ではないかと記している。

浄妙寺の鎮守熊野神社の東に直義の屋敷があったといわれ、その場所に直義の菩提寺である大休寺が建てられたと伝えられている。がそれらしき場所はみあたらない。

供養塔が多数ある、足利氏とその縁者なのか