鎌倉好き集まれ!poko fukuokaさんの鎌倉リポート・第11号(2005年6月20日)

シーボルトと鎌倉

長谷寺 2005年6月14日撮影

 幕末に やって来た有名外国人 オランダ商館の医師のシーボルトは最初学名にヒドランゲア・オタクサを提唱した、オタクサは妻の「滝」の愛称オタキさんに因んでいると言われているは有名な話だ。
長谷寺にアジサイを見にい行った時、貰ったうちわにも載っていた。
 シーボルトはオランダを1822年9月に出発、翌1823年8月に長崎に到着つまり 1年近くかかった。
現在ならシーボルト生まれた場所のドイツのヴュルツブルクで行くのだって、すぐだ。
大船発7:07成田エクスプレス7号 成田空港着9:04発11:35全日空NH6001便 フランクフルト空港着16:35 パスポート手荷物検査をうまく切り抜け地下のフランクフルト空港駅へ17:09発ICE729(インターシティーエクスプレス ミュウヘン行き)に乗ってヴュルツブルク18:26着。
実際には時差が8時間(夏時間で7時間)が有るので日本時間で 当日着は無理だが、同じ日に朝日を鎌倉見てヴュルツブルクで夕陽を見るのが可能。

ヴュルツブルク 公園のシーボルト像 1997年5月撮影

 シーボルトが鎌倉来た事が有ると言ったら 皆さん 嘘て言うでしょう、残念ながらシーボルトが大仏を見たとかの話しではなく日本滞在中に長崎から江戸を往復した事がある ですから東海道五十三次で、藤沢と、戸塚の間で 多少こじつけですが、現在の鎌倉市を通っているはずだ。
この時の旅の日記が「シーボルト 参府旅行中の日記」として本になっていると最近知った。
ちょっと立ち読みでもと思い、藤沢の有隣堂で検索したら在庫は無かった。
1997年の出版で¥2800 まだ出版元には在庫があるようで注文すれば手に入るようですが。
それならばと近所の世田谷区立砧図書館で検索すると、すると、もっと前に出版された同名の本がここには無いが他の区立図書館に有るので、予約を入れた。
翌日に届いたとの連絡をもらって、早速 図書館へ 気になる鎌倉周辺が出てくる個所を読んでみると文政6年(1826年)3月25日京都出発で、4月8日藤沢 旅館が満員で娼家に泊まる。つぎの4月9日は川崎まで行ってる、この間に現在の鎌倉市を通過しているはずですが、特にこの付近の記載がなくて、神奈川の先で飼い慣らされた熊(掴まえられて17年)を見た事が書いてあった、これってツキノワグマですよね。
どんな形で見せていたかは書いてないのですが、ちょっと凄い。
4月10日川崎から礼服に着替えて江戸へ向かう。

 約1が月江戸に滞在して長崎に戻る。

 5月18日江戸を出発、帰りも同じ東海道を通っている、はずですが、もしかしたら本来の鎌倉にきているかもしれない事に気づいた。
5月19日6時すぎに川崎出発、昼 金沢で休み5時頃フシミ(藤沢か)着となっている、金沢は現在の金沢八景の事だ、東海道は、金沢は、通っていません。
金沢八景まで行って、保土ヶ谷あたりまで戻るより、金沢八景から朝比奈を越えて鎌倉に入って藤沢着の方が自然だと思うのですが、どうでしょうか。

 参府旅行中の日記を始めから読むと最初のうちは なにごとにも感動して1日が数ページにもなるのですが、だんだんシーボルトも日本に慣れてきてきたのと疲れてきたのか旅の中程以降になると1日 数行になってしまうので詳しい事が載っていないのが残念。
この後 シーボルト事件で、日本に入れなくなるのですが。30年後横浜に来ている、この時の記録は、残念ながら、出版されてないようなので、私には鎌倉へ来たかどうか解りません。

もしかしてシーボルトが通った朝比奈切り通し 撮影2004年3月