鎌倉好き集まれ!poko fukuokaさんの鎌倉リポート・第31号(2006年8月1日)

古地形図に見る江ノ島周辺 消えた銅像

1/25000江ノ島
測図昭和14年 発行昭和22年

 前回の 古地形図に見る江ノ島に、つづく続編です。

 1/25000昭和22年発行(1947)江ノ島を見ていたら、現在の地形図に無い物をみつけました。
小田急片瀬江ノ島駅の南に、バス停のマークの様な記号と「乃木大将像」の文字、最初見た時、頭の中は???でした。
インターネットで検索をすると、出てきました、ここには昭和12年(1937)に立てられた乃木希典の銅像が有たが、昭和21年(1946)に無くなった。
ここまで読んで、昭和21年に無くなったのに昭和22年発行の地形図に載っているのは変だと思われる方も多いと思いますが、この地形図の測図は昭和14年(1939)ですから測量をした頃には存在していたのですが、戦争のために発行が遅れていたのだと思われます。

1/25000江ノ島
測図昭和14年 発行昭和22年
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この銅像の無くなり方が、謎だそうです、昭和21年3月から6月の間だに無くなったのは分かっているのですが、誰が、どこに運んだかが分かっていないようです、そのころ日本はアメリカに占領されていたから、占領軍によって軍国主義の銅像を、撤去されたと思われていたのですが、そのような事は記録に残っていません。
銅像を建てた人達が、どうせ占領軍によって壊されるなら自分達で撤去て事かもしれないのですが、その様な記録も無いそうです。
この銅像の写真が無いかインターネットの検索で探しましたが、見つかりません、それなら自分で探そうと思い、東京 千代田区神保町の古本屋街をの絵はがきの置いてある店へ、見つかりませんでした。
たまたま その時、古書店で見かけたポスターに「7月27日-8月2日京王百貨店新宿店東西老舗大古書市」が有った。
早速7月27日に1時間探しましたが、見つかりません。翌28日も行きました探し始めて、30分 江ノ島7枚組の中に見つかりました それも2枚も。
この絵はがきを売っていた所は、京都にある古書店の出店でした、ですから神奈川県の江ノ島で売られていた、絵はがきが なぜか京都へ、それが、古書市のために、たまたま東京へ、そして私が購入。
1枚目の説明は「片瀬海岸・乃木大将の銅像」と なっています。
この絵はがきを見るまで乃木大将の銅像なんて、ただ直立している つまらない軍服姿だと思ったのですが、歩きかけたこの姿、動きが有って良いですね。
銅像の前に看板が有りますが、拡大してみると「○○○登らぬようにお願いします」などとなっています、○の部分は読めませんでした。

絵はがき 
片瀬海岸・乃木大将の銅像

2枚目の説明は「片瀬海岸の風光と富士の遠望」こちらにも この銅像が小さく写っている、書き加えた赤矢印の先です。
これを撮った場所は片瀬橋の東側だと思います。

 乃木大将の銅像が消えた後も台座は長い間、そのままになっていたが、平成16年(2004)に駐車場の工事で消えました、現在は 台座から有った場所から20m北に、台座に使われた石の一部と説明の看板が有るだけです。

絵はがき
片瀬海岸の風光と富士の遠望

乃木大将銅像の台座の石
撮影 2006年7月29日
カメラ オリンパス IR-300

 話を ちょつと戻して、銅像のバス停みたいな、マークは当時も現在も 使われています、記号の説明は当時も現在も「立像」となっていますが、座っている鎌倉の大仏のところにも この「立像」マークがあります。
現在の1/10000鎌倉の源氏山の頼朝像これも座っていますが、これにも「立像」マークがあります。

 もう1つ縦書き「乃木高女校」も気になると思いますが、こちらは現在の地図を見ると湘南白百合学園である事が分かります、湘南白百合学園ホームページを見ると昭和13年(1938)乃木高等女学校設置認可とあります、戦後 湘南白百合学園と名前が変わったそうです。どうして「乃木」の文字が有るのかについては、ホームページでは分かりませんでした。