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春風裕さんの鎌倉リポート No.7(2009年7月25日)



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鎌倉十橋を巡る散策(その1)

鶴岡八幡宮から筋違橋へ



段葛


鶴岡八幡宮

 まずは、鎌倉駅から段葛を通り、鶴岡八幡宮まで歩きます。僕の場合、最近の鎌倉散策はこのコースから始まることが多くなっています。
 鎌倉十橋の謂われですが、ネットで調べてみると、こんな感じです。徳川光圀が1674年に鎌倉を巡視し、「鎌倉日記」として纏めましたが、これにはまだ十橋と言う言葉は出てきていないようです。その後、徳川光圀は、家臣の河井恒久等に命じ、鎌倉の地誌「新編鎌倉志」を1685年に編纂しました。この「新編鎌倉志」に十橋が出ているようです。



筋違橋石碑


筋違橋石碑

 僕が最初に目指した筋違橋は、鶴岡八幡宮の東の鳥居を出て、そこを右に折れ、金沢街道と交差した辺りにあります。と言っても、橋は見あたらず、石碑だけです。昔は、滑川に合流する小さな川があったようで、そこに斜めにかけていた橋だったことから、この名前がついたようです。
 少し前に、石碑のすぐ近くのお菓子屋さんに入ったことがありますが、この石碑には気づきませんでした。鎌倉十橋は、こうして歩かないと気づかないものが多いようです。

金沢街道と歌の橋



関取場跡


関所橋

 金沢街道を、この前行った杉本寺方面へ歩きます。しばらくすると、関取場の石碑があります。関取場とは、関所のことで、荏柄天神社造営のための関銭を徴収していた場所のようです。
 すぐ近くに小さな橋があり、関所橋と言う名前でした。この橋は、鎌倉十橋には入っていません。



荏柄天神社鳥居


歌の橋

 さらに金沢街道を歩いて行くと、荏柄天神社の鳥居が左手にあり、そのしばらく先に歌の橋が見えてきます。ここは、滑川に合流する支流にかかる橋で、橋の下には流れがありました。



歌の橋石碑


宝戒寺

 歌の橋の謂われですが、謀反の罪で捕らえられていた渋川兼守が、処刑前に十首の歌を詠み、それが源実朝の目に止まり、恩赦を受けたのです。その将軍の恩に報いるために、かけた橋が、歌の橋です。
 歌の橋の次は、本覚寺前にかかる夷堂橋を目指すことにしました。金沢街道を引き返し、宝戒寺の前を通り、小町大路を歩きました。

小町大路を本覚寺方面へ



妙隆寺門


妙隆寺本堂

 小町大路は、若宮大路を挟んで小町通りの反対側にある通りです。鎌倉時代には、武家屋敷もあり、こちらの通りの方が賑やかだったようです。今は、反対側の小町通りが人出が多く、賑やかですが、小町大路はひっそりとした感じで、鎌倉らしい気がします。小さなお寺もあったりして、ゆったりと散策するには持ってこいです。



日蓮上人辻説法跡


日蓮上人辻説法跡

 通りの途中に日蓮上人辻説法跡がありました。辻説法をする場所だったから、要するにそれを聞く人通りも昔は多かったようです。あと少しで本覚寺前にかかる夷堂橋です。つづきは第8号へ。


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