鎌倉好き集まれ!poko fukuokaさんの鎌倉リポート・第74号(2009年3月16日)

建長寺山門の古絵葉書

2009年3月16日撮影

建長寺の山門の古絵葉書を最近手に入れました。
山門の前に僧が2人、画面下の方に赤い文字で、右から左へ「(鎌倉八景)建長寺山門」と書かれている事から戦前の絵葉書である事がわかります。
「鎌倉八景」あまり 聞いた事が無い単語ですね。
インターネットの検索で調べてみると、これが不思議で3種類あるのです、元もと江戸時代から伝わったものと、大正の頃 雑誌社、それから絵葉書の会社と何度か決めたようですが、内容が微妙に違うのです。
もっと 驚いたのは鎌倉Todayのレポートで一止散人さんが、ここで3回も「鎌倉八景今昔」として取り上げているのではないですか。
一止散人さんが取り上げた鎌倉八景は、江戸時代の頃からのようです。
私の手に入れた建長寺は、大正と絵葉書会社に載っている「建長の暮雪」らしい、絵葉書をよく見ると、右側の地面が白いのは、残雪のようです。
 現代の写真として、ちよっとでも雪の残る物を撮りたかったのですが、今年は雪が降らない、次の雪は、来年かもしれませんので、3月16日に 現代の山門の写真を撮りにでかける 山門を見に行ってびっくり、絵葉書では、屋根が茅葺きなのに現在は銅板を敷いてある。
茅葺きだと、覆替えが大変なので銅板を敷いたのでしょう。
それから燈篭が無い、手前の燈篭は金属製ですね、これ建長寺に確認は、取っていませんが、戦時中の金属の供出で無くなったようです、私が持っている絵葉書ではありませんが、建長寺山門の戦後の絵葉書で、山門の前の燈篭の土台のみが写っている絵葉書を見た事があります。
絵葉書に小さく写っている 奥にある燈篭も現在ありません、こちらよく見ると、ちょっと変です、灯火が入る部分が無い、これ地震などで、倒れた時、この部分が壊れて、この絵葉書の写真を撮影した頃はその部分無しで立っていたのですが、やがて撤去されたのではないでしょうか。
住宅地などと較べて寺院などは、時代が変わっても、あまりかわらないと思っていたのですが、よく見ると変わっていくのですね。

2009年3月16日撮影 手前は、おかめ桜