鎌倉好き集まれ!poko fukuokaさんの鎌倉リポート・第73号(2009年2月2日)

江ノ電の古絵葉書

「相州 七里ヶ濱」

「相州 七里ヶ濱」電車部分拡大

最近インターネットのオークションで江ノ電の絵葉書を2枚手に入れました。

1枚目 葉書の下部に
「相州 七里ヶ濱」と「VIEW OF HICHIR GANAMA」
右側に古い電車、後ろに江ノ島、左側に茶店が写っています。

 電車の前「10」の番号で、調べてみると、江ノ電は明治35年(1902)9月に藤沢-片瀬(現在の江の島)が開業。
この時の車輌は4両、「10」は明治36年(1903)に増備された4両うちの1両だ。
車輌は長さ7.5m前面ガラス無しの、オープンデッキ2軸単車で、集電は、しゃもじのような形をしたビューゲル前照灯は、着脱式だった。
たしかに写真を見ると、前面ガラスが無いので、運転士が、しっかり写っている、冬は寒かったでしょうね。集電はビューゲルです。
やがて改良され前面にガラスが付き集電はポールになりましが、ビューゲルの方が、性能は良いはずなのですが、どうして換えたか謎です。そして前照灯も付いた。
廃車の時期はさだかでないが、ボギー車が入った昭和4年(1929)ですから、この後すぐだと思われる。
 撮影時期は、江ノ電は藤沢-片瀬(現在の江ノ島)が開業の後、片瀬-行合(現在の七里ヶ浜)が明治36年(1903)開業しているので、撮影は明治35年以降なのは、分かる。
前面にガラスが付いたり集電はポールに前照灯も付いたなどの改造時期がわかれば、かなり詳しい撮影時期がわかるのですが、明治から大正の始めにかけての撮影だと思います。
 この古絵葉書と、同じ場所で撮ろうと思って、場所を探した、古絵葉書を見ると、架線柱で線路は右側から続いてきて電車は、直線部分に居て、左へ行くように、写っているのですが、鎌倉高校前から歩いて七里ヶ浜駅へ歩いたのですが、こんな場所が無いのです、峰ヶ原信号所の部分を単線ならば、こんな感じなのですが、調べてみると、峰ヶ原信号所は昭和28年(1953)に新設されたので、この辺での撮影なのでしょう。
交換するために、線路が増えたのと、道路が広くなり現在では、このように撮れません。

現代 茶店の代わりに自動販売機 2月2日に撮影

「七里ヶ濱ヨリ江之嶋ヲ望ム」

現代 富士と10形

 2枚目は葉書の下部に
「七里ヶ濱ヨリ江之嶋ヲ望ム」「BUND OF HICHIRIGAHAMA」
左側に江の島 中央に富士山 そして電車。

 前の絵葉書のようには電車の番号番号は読めませんが、集電はビューゲルです、撮影時期は同じぐらいでしょう。
架線柱をみると、電車の後ろの、次の架線柱は両側に架線が有るようになっている、これでここが交換可能な場所である事がわかる、現在は海岸沿いに峰ヶ原信号所が有るが、前にも書きましたがここは昭和28年(1953)に新設された、それ以前は、現在の鎌倉高校前あたりに有った日坂(にっさか)が交換駅だ。
撮影場所は、ここだと思える。
ただし中央の富士山はあきらかな、合成、この辺では、こんな位置で見えない。

現代の写真をみてください。
江ノ電と富士山を一緒に撮り、富士山が一番海よりに見えるのは、七里ヶ浜-稲村ヶ崎の間なのですが、この程度です。
富士山の下側は、小動崎です 江ノ島は、もっと左側になります。

この撮影は2008年4月1日です。

本当の絵葉書どちらも、かなり黄ばんで、しみも、あちこちに出ていますので、グラフィクソフトで、綺麗にしました。