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poko fukuokaさんの鎌倉リポート No.72(2009年1月15日)



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滑川の古絵はがき


 この絵はがきは縦位置で撮られた木製の橋の写真の横に「滑川」と縦に書かれ、その後 現代語で書くと「鎌倉の中央を流れ、由比ヶ浜に注ぐ小流にして、昔 青砥左衛門藤綱 十文の銭を川に落とし松明(たいまつ)を五十文の銭を使い購入して、拾い取った話で有名です」
 この話 十文を見つけるために五十文を使った事を人々は、あざわらったが、それに対して青砥左衛門藤綱は「十文といえども、銭である、これを無くすことは天下の銭を無くすことである。私は結局五十文を損したがこれは 銭は、めぐりめぐって人々の為になったので利が生じる。」と言ったそうです。

この絵はがき1年以上前に買ったのですが、この撮影場所は分からないなあと思っていた。

 最近 この絵はがきの事を思いだし、この橋を捜してみようと思った、滑川は、上流は東から西へ途中から北から南へ向かって流れていて、この絵はがきの写真は順光で撮られ上流に向かって撮っているように見える。
1月5日大正10年測図の1/25000地形図を持って由比ヶ浜の滑川の河口から歩きはじめた。
「滑川橋」絶対に違う この道路が出来たのは戦後ですから。
滑川橋と海岸橋の間に現在は無いが橋が有ったが、川幅は、広くここではないと思う。
「海岸橋」まだ川幅が広く、絵はがきのようには、写らないと思う。
「閻魔橋」大正10年測図の地形図には橋は無い
「延命寺橋」横須賀線がすぐ後ろに見えるはず違う
「大町橋」大正10年測図には無い
「下川橋」なんとなく似ている感じ
「夷堂橋」大正10年測図見ても周りに人家が有り、車も通る橋なので違う。
「琴弾橋」なんとなく似ている感じ




「青砥藤綱旧蹟」1月12日撮影

「東勝寺橋」なんとなく似ている感じ そして この橋のすぐ横には「青砥藤綱舊蹟」なんて石碑もあります。
そうここが、どうも撮影場所のようだ。
 現代の、大きくなった木の形と絵はがきの中の木の形が似ているような感じがするが、80年以上たっているので、同じ木かどうかは分からない。
そして今有る橋は、大正13年(1924)に建造されたアーチ構造の橋。
この絵はがき、それ以前の撮影なのですね。
東勝寺橋は私のレーポートNo5で「偶然見つけた、アーチ構造の橋を2つ」でとりあげているのに、「青砥藤綱旧蹟」の碑なんか、すっかり忘れていた。
この日は、歩きはじめたのが、遅かったので日が陰ってきたので1月12日にもう一度行ってみる。
ここは、橋の横の階段から、河原に降りられるようになっている。
河原からできるだけ、絵はがきに似るように撮ってみたが、思ったように撮れなかった、結局 1月15日に再度撮影、レンズは35mmカメラで換算すると28mmの広角で撮影したのですが、絵はがきの写真に合わせてトリミングをしたので、50mmぐらいで撮影した感じになっています。





絵はがき写真部分


1月15日撮影



木柱を建てた穴の跡 1月12日撮影
 橋の下を見ると、川底が岩盤で、木柱を建てるために、削った穴が何カ所か残っています直径が30cm以上あって、これが東勝寺が有った頃には立派な橋が架かっていたのでしょう、橋が架かっていたのに青砥左衛門藤綱は、何故 銭を落としたのでしょうか これが謎だ。

カメラ OLMPUS E-3




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